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明徳館 (奥殿藩) : ミニ英和和英辞書
明徳館 (奥殿藩)[めいとくかん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

明徳 : [めいとく]
 (n) virtue
: [やかた, かん, たて, たち]
 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin
: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
殿 : [どの, との]
 【名詞】 1. (pol) person 2. Mister (mostly in addressing someone on an envelope) 3. Mr 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

明徳館 (奥殿藩) : ウィキペディア日本語版
明徳館 (奥殿藩)[めいとくかん]
明徳館(めいとくかん)は、奥殿藩藩校
大給松平家10代目当主〔『大給龜崖公傳』 p.21。〕にして奥殿藩7代目藩主〔『藩史大事典 第4巻 中部編II 東海』 p.287。〕である松平乗利(大給乗利)は、その藩政において文武を奨励していたが〔、弘化3年3月(1846年3月または4月)藩士子弟の教育を目的として開いた藩校が明徳館である〔『藩史大事典 第4巻 中部編II 東海』 pp.289-290。〕。乗利は明徳館とともに演武場も設けている〔。明徳館の教授には中根五右衞門を、演武場の師範役には成瀬文庫をそれぞれ当てた〔。
明徳館は安政3年(1856年または1857年)、学問所と改称された〔『藩史大事典 第4巻 中部編II 東海』 p.290。〕。
== 脚註 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「明徳館 (奥殿藩)」の詳細全文を読む




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